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田邊朔郎像
1982(昭和57)年建立

 田邊朔郎は1861(文久元)年、幕臣の子として江戸で生まれました。生後9ヶ月で父を失い、叔父の田邊太一によって育てられました。明治4年、田邊太一は外務省の1等書記官として岩倉使節団に随行し米欧を視察して明治6年に帰国しました。横浜に叔父を出迎えた12歳の田邊朔郎は、そこで初めて外国汽船を目にし、叔父の田邊太一に案内されて巨大な蒸気機関を間近に見ることになりました。明治8年、13歳で工部大学校の予科、工学寮附属小学校に入学、2年後、工部大学校に進学しました。6年制の工部大学校では、5年生を全国へ派遣し、近代化に必要な社会資本の建設計画に参画させていました。このとき田邊朔郎は京都・大阪地方に派遣されました。田邊朔郎は独自に調査を行い、琵琶湖疏水計画を工部大学校の卒業論文にまとめ主席で卒業しました。これが契機になって京都府御用掛に採用され琵琶湖疏水事業を担当することになりました。
 1894(明治27)年にイギリス土木学会は田辺朔郎に琵琶湖疏水事業を讃えて「テルフォード賞」を贈りました。


映画「明日をつくった男〜田邊朔郎と琵琶湖疏水


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