「おもしろ分解博物館」オープンに向けて〜博物館長のあいさつ(^^;)

 みなさんは、「ブラックボックス・シンドローム」ということばをご存じですか?
 認知心理学の研究者である佐伯胖氏は次のように述べています。
 「ほんとうはどうなってるのか」という私たちの「問い」そのものが、このハイテク時代、あるいはマスメディアの時代に、たえず巧妙にはぐらかされているという状況がある。「わからないことは、どうせシロウトにはわからない」というあきらめが蔓延し、当面「こうやれば、うまく行く」という手順を暗記しておくだけで対処しておこうとするのである。それがさらに進むと、「シロウトは、意味などわかる必要はない。ただ正しい手順、やり方だけを暗記しなさい」という姿勢で、装置や制度やルールを押しつけ、それを学習(暗記)させようとする少数の支配者と、それをなかばあきらめながらせっせと学習(暗記)にはげむ大多数の被支配者に二分される社会になる。こういう事態をここで「ブラックボックス・シンドローム」と呼ぶ。
 バーチャル・リアリティの技術が、「ホンモノみたいなウソの世界」を提供し続けているうちに、人々が「ホンモノの世界」に関心を示さなくなり、ウソの世界だけで満足するようになってくるとしたならば、それはバーチャル・リアリティの技術の問題よりも、むしろ、近代の技術社会で、人々がブラックボックス・シンドロームにおちいっているからである。
 この問題は、実は、人間が文字や記号(シンボル)を発明したときからつきまとう問題である。今日の技術の産物(人工物)というものが文字や記号の複雑な体系で構成されているかぎり、私たちの身の回りには「ほんとうはどうなっているの」をわからなくするものがどんどん作り出されてゆくのである。したがって、今日の社会における「リアリティの喪失」の根源をさかのぼると、それはシンボルを使うことにともなう根元的なディレンマ(活動世界の拡張が実感や納得の世界の縮小をともなうこと)に行き当たるのである。
 (苅宿俊文・佐伯胖・佐藤学・吉見俊哉「子どもと教育 コンピュータのある教室 〜創造的メディアと授業」岩波書店 1996 pp.42-43)
 少し長い引用になってしまいましたが、この佐伯氏の指摘は非常に重要な視点であると言えます。私たちは溢れんばかりのモノに取り囲まれ、またそれらに依存して毎日を過ごしています。こうして私たちを取り囲むモノには、非常に高度な技術もさりげなく存在しています。けれどもこうしたモノをとりあえず使っているということと、わかってつかっているということの間には大きな隔たりがあります。「こう使って下さい」「そういうふうにしなさい」とあるので、意味もわからず使っている・・・・こうしたモノの使われ方は、「なってほしくない事態」や「起こってはならないこと」に対して非常に無力で、深刻な事態にまで行ってしまうという危険性を孕んでいます。単に技術に適応するというのではなく、こうした高度技術社会の中で見失ってはならないことは何か、という視点を常に持ち続けていく重要性がここにあります。
 機械のなかみを実際に調べてみることは、実感や納得の世界を少しでも拡張しようとする挑戦であり、「ブラックボックス・シンドローム」に対抗するためのひとつの試みなのです。 


もうひとつのあいさつ(^^)
 「そうです!バージニア、サンタクロースなんていないんだという、あなたのお友だちは、まちがっています・・・・サンタクロースがいない、ですって!この世の中に人への思いやりや、まごころがあるのと同じように、サンタクロースもたしかにいるのです。・・・・あかちゃんのがらがらをぶんかいして、どうして音がでるのか、なかのしくみをしらべてみることはできますけれども、目にみえない世界をおおいかくしているまくは、ひきさくことはできません・・・」(中村妙子訳「サンタクロースっているんでしょうか?」偕成社1977年)
 これはニューヨーク市に住む8歳の女の子(バージニア・オハンロン)の手紙にニューヨーク・サン新聞のフランシス・P・チャーチ記者が答えた1897年9月21日の「ニューヨーク・サン新聞社説」の一部です。今日でもこの有名な社説は、この世界では見えないものや、見ることのできないものの中にも、確かなものはたくさんあることを子どもたちだけでなく私たちにもわかりやすく教えてくれます。そして、同じようにサン・テグジュペリは、その作品の中で「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」(「星の王子さま」)と言っています。
 日常生活では、機械のなかみを見ることは、ほとんどなくなってきました。その機械のなかみをのぞいてみると、そこには「モノづくり」にかかわったたくさんの人たちの確かな鼓動が感じられるのです。毎日の生活で私たちはたくさんのモノを使っています。そうした日常生活を支えているモノたちは、すべて誰かの地道な努力によって生み出されてきています。ただ、どれだけの人が、そのことを意識しているでしょうか?そしてモノを大切に使うことと、人への思いやりやまごころは、決して別々のことではないと思うのです。そうした人やモノづくりを訪ねる扉として「おもしろ分解博物館」をオープンしました。


戻ります。